作家でごはん!鍛練場
青木 航

『坂東の風』第九章 第10話(最終話)

 まだ摂政・藤原兼家の存命中、満季の武蔵守の任期も一年を切った。千方に手出しすることが出来無くなった後、満季はひたすら蓄財に励んでいた。しかし、兼家の機嫌を損ねたことが気に掛かっている。次の官職にすんなり就くことが出来るか不安だった。そんなこんなで、このところ満季の機嫌は甚だ良く無い。
 鏑木も、伊賀での失敗以来、満季の信頼を失ってしまっている。その鏑木が、満季の機嫌を直す策を思い付いて居室を訪ねた。
「お話ししたき儀が御座いまして、参上致しました」
と声を掛けると、
「何じゃ」
 満季は不機嫌そうに応じる。
「入って宜しゅう御座いますか?」
と尋ねる。
「…… 入れ。何用だ」
「千方のことで御座います」
 満季が関心を示してくれる事を期待して言った。
「千方? 貴様が仕損じた為に手も足も出せなくなった、あの藤原千方のことか」
 そう満季になじられた。
「申し訳御座いませんでした」
「密かに千方を殺す名案でも思い付いたと申すか」
「いえ、千方が伊賀におれなくすることが出来ればと思いまして」
「伊賀におれなくなる?」
 満季の目が『貴様、何が言いたいのか?』と言っている。
「千方の悪評を広めては、如何かと思います」
と、鏑木は気持ちを込めて満季を見詰める。
「ふん、悪口を言い振らすなど。童の喧嘩では無いのだぞ」
 鼻で笑って、満季はそっぽを向いた。
「お聞き下さい。あの折、嵐を避けて逃げ込んだ洞窟が御座いまして。何でも昔鬼将軍と言う者が朝廷に叛いて蜂起したが、結局滅ぼされたと言うことで、その鬼将軍が隠れていた場所と言う言い伝えの残る洞窟でした」
 満季の歓心を呼び起こさないと『くだらん! 下れ』と言われそうである。
「それがどうした」
 満季は余り興味無さそうだ。
「あの折、佐伯様が千方のようだと仰ったのですが、あの時は、何を詰まらぬことをと思いました。ですが最近、或る話を聞いた時、使えるかも知れぬと思い至りました」
 満季の目に、僅かに関心の色が宿った。
「持って回った言い方はよせ。どう使うと言うのじゃ」
と鏑木を詰める。
「申し訳有りません。武蔵の健児で、千方が鎮守府将軍の頃、胆沢 の鎮守府に居た者がおりまして、或る時、千方の郎等が『我が殿は鬼を操れる』と申しているのを聞いたと申しておりました。にわかには信じ難い話ではございますが、千方が念じると、鏡の中に鬼が現れたと言うのです。鬼将軍の言い伝えを思い出し、事の真偽は別として、利用出来るのではないかと思い至りました。逸話の鬼将軍。その名を藤原千方と言い触らしてはどうかと思い付いたのです」
 少し関心を示したかのように見えた満季だが、再び落胆したように力を抜いた。
「しょうもない」
 満季は、そう言って、また横を向いた。
「お聞き下さい」
 鏑木は、満季の関心を呼び起こそうと、必死になって続けた。
「学者と称する者が昔話の真相を、民達に説いて廻るのです。鬼将軍と言われた者の名は『藤原千方』と言い、悪逆を尽くした豪族で、鬼達を使って朝廷に反逆したが、征伐されたと言う筋書きで宜しいかと」
 満季の顔色を伺いながら、説明する。
「今生きている千方を昔話にしてどうする。何の意味が有るのだ」
 否定しながらも、満季の気持ちが動いているのが見えた。もう一息と鏑木の言葉に力が入る。 
「藤原千方と言う者は悪人だと、民達の心に植え付ければ良いのです。『鬼将軍とは言っても、名は何と言ったのだろう』そう思っている者も少なくはない筈です。藤原千方と言う者は悪人だと心に植え付けられれば、愚かな民達は、昔も今も区別が着かなくなり、今居る千方も悪人と決め付け、追い出そうとするかも知れません」
『如何でしょう』と聞こうとしたが、
「そこまで愚かな者はそうおらんわ」
と満季に遮られた。鏑木はそんな事では退けない。
「いえ、民とは、所詮その程度のものだと吾は思っております。上手く操れば、案外思うように動いてくれるものです」
「確かに、下野ではその手で上手くいった。それは認めてやる」
と満季が言った。鏑木は何とか説き伏せようと必死だ。
「もうひとつ。民とは、事実などより荒唐無稽な絵空事の方が遥かに好きなもの。そうは思われませんか? 神話の時代から今に至るまで、民達は絵空事に胸を踊らせ、歴史の事実がどうであったかなどには余り興味を持ちません。要は荒唐無稽で宜しいのです」
 民人達の心を操る方法を、何とか満季に理解させようと鏑木は思っている。
「そんなに都合良く行くとは思えんが、考えてみれば、そのような伝承に絡めて、藤原千方が鬼将軍と言い触らすと言うのは案外面白いかも知れぬな。腹いせにはなる。駄目元でやってみよ。ところで、鬼将軍は誰に滅ぼされたのじゃ?」
 満季が話に乗って来た。鏑木は意を強くした。
「は、言い伝えには名が有りませんので、考えます。あの辺りは紀伊国ですから、古代からの名門、紀氏の者が宜しいでしょう。朝廷方の英雄ですから、朝廷の『朝』と英雄の『雄』で、紀朝雄で如何でしょうか?」
「そのような名の大将軍は、歴史にも言い伝えにもおらぬぞ。大きな戦いが有ったとすれば、何かに書き残されているか、他の逸話が無ければおかしいであろう」
 少し関心は出て来たが、満季はまだ効果に疑問を抱いている。
「紀朝雄は大将軍ではありません。只の公家です。朝廷に叛くことがいかに畏れ多いことかを和歌に詠むと、千方に従っている鬼達が己を恥じ、千方を見捨てる。それで千方は朝雄に討たれてしまう、ということです」
「言霊で滅びたと言うことか。確かに、和歌には霊力が有ると言われる。なるほど、考えたな。それなら大戦の記録が無くとも良いな」
 満季は、鏑木の思い付きの絵空話に少し呆れた表情を見せたが、千方がだらしなく滅びると言う設定は気分を良くするものではあった。

    
 根も葉も無い噂が、いつの間にかまことしやかに語られるようになる事が有る。それは、今も昔も変わりない。ただ、フェイクニュースがあっという間に広がる現代と違って、噂が広がるには時が掛かった。
 三年ほど経った頃から、旅をしている偉い学者が語ってくれたと言う、伊賀の青山辺りに伝わる伝承が、伊勢を中心に少しずつ広まり始めていた。今迄『鬼将軍』とだけ伝わっていた悪人の名は『藤原千方』と言い、鬼を操って朝廷に叛いたのだと言うことも知られるように成った。根も葉もない噂が独り歩きして、時代を経て文字として書き残されることになる。
 学者が語った話は徐々に広まり、後年、『太平記』の「巻十六 日本朝敵の事」に下記のような形で、あの将門より前に取り上げられることになるのだ。
 昔は噂が広がるのは遅いが、一旦広がってしまうと事実と区別が付かないものになってしまい、打ち消す術がなくなってしまうことが、現代とは大きく違うところだ。

『天智天皇の御宇(御代《みよ》)に藤原千方と云う者有って、金鬼・風鬼・水鬼・隠形鬼といふ四つの鬼を使へり。
 金鬼はその身堅固にして、矢を射るに立たず。
 風鬼は大風を吹かせて、敵城を吹き破る。
 水鬼は洪水を流して、敵を陸地に溺す。
 隠形鬼はその形を隠して、にはかに敵をとりひしぐ。

 かくの如く神変、凡夫の智力を以って防くべきにあらざれば、伊賀・伊勢の両国、これが為に妨げられて王化に従ふ者なし。

 ここに紀朝雄と云いける者、宣旨をかうむつて、彼の国に下り、一首の歌を読みて、鬼の中へぞ送りける。

[草も木もわが大君の国なればいづくか鬼の棲なるべき]

 四つの鬼この歌を見て、

「さてはわれら悪逆無道の臣に従って、善政有徳の君を背きたてまつりけること、天罰遁るるところ無かりけり」

とて、たちまちに四方に去って失せにければ、千方勢ひを失ってやがて朝雄に討たれにけり』

    
 ところで、『鬼将軍』・藤原千方が謀反を起こしたとされる時代については、いくつかの説がある。

 天智天皇の御代《みよ》、壬申の乱の頃、さらには、村上天皇の御代に高官であった千方が、正二位を望み、得られなかったことから反乱を起こしたとの説まで存在する。

 中臣鎌足は、天智天皇から藤原の姓《かばね》を賜った翌日には逝去している。従って、天智天皇の御代に藤原を名乗る豪族など居ない。

 次に、 

『壬申の乱』とは、天智天皇の弟・大海人皇子が、天智天皇の遺児・大伴皇子を討って政権を奪取した出来事である。
 前政権の高官であった鎌足の一族の多くは罰せられた。男児で唯一生き残っていた鎌足の二男・史《ふひと》は十三歳であった為処罰を免れたが、姓を中臣に戻し、ひっそりと暮らさざるを得なかった。つまり、この時代にも『藤原』を名乗る豪族など居ない。

 藤原氏が躍進するのは、次の持統天皇の御代である。しかし、権力を得た史改め不比等は、自らの子意外の一族の者が『藤原』を名乗ることを禁じ、全て中臣に戻させている。やはり、藤原を名乗る豪族など存在し得ない。

 平安時代に至り、村上天皇の御代に於いて、千方が高官などではなかったことは、この小説の読者なら自明のことである。高明《たかあきら》を千方に置き換えて、悪人にしただけだろう。

『太平記』の成立以来ほぼ二百年の間に、千方伝説は祝言の語り物として流布し、田楽能の素材に成った後、謡曲の『千方』や『現在千方』などに改められて広く受け入れられたと言う。

    
 文武共に類稀な才を持ちながら、自身は歴史に名を残すこと無く、信念を貫き、時代の波に抗いながらも時代に取り残された男。それが藤原千方である。

 しかし、皮肉なことに悪意を以て作り出された虚像は独り歩きし、後代『太平記』の悪人列伝に取り上げられることに寄って、朝廷に反抗し紀朝雄に滅ぼされる悪の将軍として、その名を今も残す存在と成った。 

 尤も「悪人列伝」の言う"悪人"とは、飽くまで朝廷側、即ち藤原摂関家から見ての"悪人"であるから、長屋王を始めとして、藤原氏の陰謀に因り失脚した者が多く悪人として取り上げられている。

 正義も悪も時代に寄ってその認識に違いが有る。また現代に於いても、国によって違うことは自明だ。中国の正義、アメリカの正義、イランの正義。イスラエルの正義、パレスチナの正義。それぞれの掲げる正義のいずれが真の正義なのか。その評価は立場に寄って異なる。結局、それぞれの国の勝者・権力者に寄って決められているのだから。

 伊賀、伊勢では、藤原千方悪人説が広まったことは事実だ。だが、鏑木の言うほど民は愚かでは無かった。伝説の鬼将軍と現実の千方を同一視して敵意を持つ者は、ほんの一部でしか無かったと思われる。

 一方、武蔵国・埼玉郡・草原郷には、千方を慕い懐かしむ民が少なく無かったと言う。 

 埼玉県加須市に二ヶ所、羽生市に一ヵ所、藤原千方の善政を称えて祀ったとされる『千方神社』が存在する。
 千方の名は、秀郷流藤原氏の系図の一部にのみ残る。『尊卑分脈』では千常の子として記載されているが『実舎弟』との添え書きが有る。子や孫に付いての記載は一切無い。
 官職に付いては『新編武蔵風土記(千八百十年起稿、千八百三十年に完稿)』の千方神社の縁起に触れた部分に『俵藤太秀郷の男(男子)を祀る所なりといへり。按に秀郷が六男修理大夫を千方と云、この人を祀りしなるべし』と有るが、修理大夫(しゅりだいぶ)の官位相当は従四以下であり、従四位上・参議であった者も多い。
 千方がこの地位まで上っていれば、『公卿補任』その他に、確認出来る資料が有る筈だが見出だせない。『新編武蔵風土記』自体、かなり後世に成立したものであり、その信憑性は低い。

 今日Netで『藤原千方』と検索すると、
 伊賀に伝わる『悪の将軍・千方伝承』『藤原千方の四鬼』などがずらずらと並び、それを元に作られたアニメーションやゲームなどが続くが、人々の関心は専ら虚像に付いてであり、平安時代中期に生きた秀郷の六男、六郎・千方の実像に関心を寄せる者は居ない。 
                           
        ー(完)ー

https://novel.daysneo.com/sp/works/episode/6c0ae7b3ccf9b661528c86482d045888.html

『坂東の風』第九章 第10話(最終話)

執筆の狙い

作者 青木 航
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藤原秀郷の落し胤・六郎千方(幼名:千寿丸)は、母の実家、武蔵国・草原《かやはら》で育っていたが、14才の春、兄の千常が突然迎えに来た。
 父に会えると思い兄に従って下野《しもつけ》に行くが、千常から与えられた郎党の朝鳥と共に、三年間、蝦夷《えみし》の隠れ郷で過ごし、弓、乗馬、太刀打ちの鍛錬をしなければならない事になる。

コメント

夜の雨
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「『坂東の風』第九章 第10話(最終話)」読みました。

最終話にふさわしいエピソードで締めましたね。

千方に手出しすることが出来無くなりひたすら蓄財に励ん満季のもとに配下の鏑木がやってきて、悪評を広めて千方を伊賀におれなくする提案とは。
その顛末が書かれていました。

これだと『坂東の風』をそれまで読んでいなくても単独で意味が分かります。

青木さん、どうもお疲れさまでした。
青木さんの長い旅路が終わりましたね。
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本作は全107話、合計644,109文字の長編です。作風としては、歴史上の大きな出来事はそのままに、実在した人物と創作上の人物を縦横の糸のように絡み合わせてエピソードを紡いでいます。創作部分の方針は、有り得たかも知れないエピソードであり、有り得ない絵空事的なエピソードは極力排除するようにしています。
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という事らしいですが、なかなかここまでの長編は書けないだろうと思いますが、成し遂げたという事は素晴らしい。
「作家でごはん!」のサイトでは歴史物ということで「鍛練作」としてはあまり人気はありませんでしたが、「NOVEl DAYS」(講談社サイト)で完成版が歴史部門でランキング一位になったということもあり、おめでとうございました。
「NOVEl DAYS」は小説を読ませるサイトなので、そこで多数のかたに読まれてよかった。

落ち着いたら、また新しい課題に向かって進んでください。


お疲れさまでした。

青木 航
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 夜の雨様、いつもお読み頂き有難う御座います。
 色々試行錯誤の末、このところ、なんとかいい方向に行っています。

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