桜の咲く頃
自室の棚の上にあるよれた財布からは、春先になると不思議と磯の匂いが香ってくる。
私は磯の匂いがするたびに、十年ほど前の、彼と対話したカフェでの記憶が鮮明に呼び起こされるのである。
カフェの窓からは、しきりに光る車のテールランプが見えていた。マフラーから白い煙を出しながらゆっくりと走り行く車から目を背け、私は腕時計を見た。
注文したアイスコーヒーには水滴がキラリと光り、机にポタポタと落ちていた。
店の扉が開いた。私は彼の顔を見た途端、待ち合わせの相手だと気付いた。しかしそれよりも早く、彼はこちらに気付いたらしく、私が立ち上がるよりも前に、私に向いて会釈をした。
「初めまして、電話を差し上げた開田です」
開田さんは柔らかな声色で言った。
私も立ち上がり、
「初めまして、飯田です。」
と、我々は簡単に自己紹介を済ませた。
私は、机を挟んだ向かいの椅子に手を差し、「どうぞ」と促した。
開田さんは再び一礼して椅子に腰掛けた。澄んだ、穏やかな目がこちらを見ていた。
私がどう切り出そうか迷っていると、開田さんの方から、
「あなたにようやくお会いできて嬉しく思います。まずは、私の無礼をお許しください」
俯きがちになりながら言った。
「いえ、私は開田さんに深く感謝しています、本日はありがとうございます」
私はその他にかける言葉が分からなかった。
開田さんは、下に向けた顔をこちらに向き直し、先程とは打って変わって、険しい口調で私に語り始めた。
開田さんはその日、法事の為に働き先の神戸から岡山に帰郷して、終わったあと、幼い頃に良く砂遊びをした砂浜の棕櫚の木陰に腰を降ろしていた。彼は、十月にしては暑い日だったと回顧した。
開田さんの居た砂浜は、丁度コの字の凹んだ部分で、双方からは腰の低い丘が視界を遮っていた。
ネクタイを緩め、潮風に当たっていると、沖合から木片のような漂流物が流れているのを目にした。瀬戸内の穏やかな潮流にしては珍しく大きな漂流物だった。波に揺られながら、ゆっくりと近付く漂流物が眼前に迫った頃、酸っぱい臭いが鼻に付いた。そして、開田さんは目の前の漂流物がただの漂流物ではないと悟った。
そして、それが木片などという普遍的な物ではなく、何かの死体らしい事に気付いた。
開田さんはゆっくりと死体の方へ近付いた。
そばへ寄るたびに、異臭は濃くなっていく。そして、魚についばまれて穴だらけの死体を目にして、思わず体が仰け反った。
それは人の遺体であった。髪は抜け落ち、ガスが体内で膨張した原型も留めない腐乱死体が波打ち際にゆらゆらと揺れていた。服も千切れ、性別も分からない程損傷していた。
開田さんはその場から逃げるように立ち去り、近くの交番へ駆け込んだ。この謎の腐乱死体は、たちまち小さな漁村中を駆け巡り、地方紙の片隅に概要が掲載された。
開田さんが腐乱死体を見つける四ヶ月ほど前の五月二十日、二○キロほど離れた海域で、暴風雨の中を無理に出港した遊覧船が岩礁に激突し沈没した事件があった。
乗組員と乗客は合わせて十二名で、その二日後頃から周辺の砂浜に死体や漂流物が打ち上がるようになった。海上と陸、双方からの捜索で、沈没後二週間で遺留品十八点、遺体五体を回収したが、残り七体は依然行方が分からなかった。
五月二日のクラッチバッグの遺留品を最後に、沈没船は陸に何も送ってこなくなった。
そして、十月二五日、開田さんが法事を終えて砂浜に座った日、新たな死体が漂着したのである。
その日は結局、警察からの聴取が八時間掛かり、ひとまず実家に泊まり、翌日また聴取があり、結局一週間を故郷で過ごした。
神戸へ帰る日の朝方、最後に、砂浜がよく見える丘へ登った。彼としては思い出深い砂浜だが、腐乱死体によってその思い出は悉く蓋をされ、もはやトラウマのようになっていたのである。
それを少しでも払拭するため、幼少への憧憬として砂浜を見ておきたかった。
家族や近所の者から、件の砂浜一帯は規制線が張られていると聞かされていたが、もう規制は済んだらしく、規制線はなかった。
なにともなしに、ただ呆然と砂浜を眺めていると、黒い物体が打ち上げられているのを見つけた。開田さんはその物体に嫌悪感があったが、一度気になったことは中々忘れられぬ質らしく、自然と目に入る物体に対する興味が肥大化し、結局浜に降りて見に行くことにした。
近付いてみると、それは財布であった。
くたびれて革が剥がれた二つ折りの財布が微細な砂の上に蹲っていた。
「飯田さんの前で言うのは憚られますが、あのときは、拾おうか、本当に悩みました。拾ってしまえば、警察に届けなくてはいけない、でも、そのままにしておくと、風化してしまい、財布の持ち主が余りにも可哀想です。かと言って届けに行けば、また面倒になる。岡山で過ごした一週間ですっかり精神を消耗してしまい、もう気力が起きず、再び活力のある日に届ければ良いと思い、警察に届けず持ち帰ってしまったのです」
開田さんは俯き勝ちになりながら言った。
私は後ろめたさを抱えているらしい開田さんを少しでも庇うため、
「気持ちはよく分かります」
と言った。
開田さんは喋り続けで渇いた喉にアイスコーヒーを流し、悲痛な声で再び話し始めた。
「財布の中を、見てしまったんです。中に、当然保険証や免許証が残っているのを見て、溜まらない気持ちになりました。もちろん、当時はそれが単なる落とし物か、遺留品が判然としませんでしたが、ふと波打ち際に揺れる遺体が思い浮かびました。私は自然と、財布の持ち主を発見したご遺体に結び付けて考えていました。その考えは私の脳裏に癒着して、まさに財布の持ち主を断定めいた推測で決めつけました。
おそらくあの状態では、身元の特定も困難だと思いました。故人かも分からず、ただ待ち続けるご遺族が余りにも可哀想に思い、私は記憶ではなく物体として、現状のまま少しの間だけでも保管することにしたんです。
そして、免許証の名前を調べると、沈没船に居合わせた方と同名だと知りました。ニュースには顔写真も出ていましたから、免許証と比較すると、同一人物であると確信を得ました。なんとかお返しようと思いましたが、中々機会を得られず、財布の拾得から三ヶ月も経ってしまったことを申し訳なく思います」
そして、開田さんは手提げかばんから、ジップロックに入った財布を机の上に置き、深々と頭を下げた。
「開田さんのお気持ちも分かります。私としては、遺留品があるだけでも幸せなんです」
私はそう言って、ジップロックに入った財布を見つめた。
私としても、財布を見て誰のものか分かるわけでも無かったが、開田さんは丁寧に、免許証を財布から取って、よく見えるように同封してくれていた。
その免許証には、間違いなく私の兄の氏名と顔写真があった。
「本当に、ご丁寧にありがとうございます」
私はそう言うと、掠れた免許証を見つめ、両手でジップロックを持ち上げ、かばんの底に仕舞った。
開田さんはそれから、自身の行為に正当性が見出せないらしく、度々私に謝られ、充血した目をしばたたきながら、
「先程お話した、財布を拾った理由は、恐らく、私の嘘です。私はそんなに高尚な理由で拾ったわけではなかったはずです。ただ、面倒を先送りにしようという気持ちと、少しの偽善が入り混じった行動だったと思います。私は、拾った財布を見るたびに、罪悪感に駆られ、警察に行くこともできずにいました。全て、私の偽善と、当時の記憶を複雑に脚色してしまった私の過失です」
というふうに言った。開田さんの目からは、熱いものが溢れていた。
私はそれに何の言葉も返すことができず、目頭が痛くなり視界がぼやけた。
私が再度、
「ありがとうございました」
と言うと、開田さんは声を震わせながら、
「申し訳がありませんでした」
と、再び謝られた。
私が立ち上がり開田さんに向かい一礼すると、開田さんも無言のまま私にお辞儀した。
お辞儀から上がった開田さんの顔は、呵責の念が滲んでいた。
ドアの開閉音が聞こえた。アイスコーヒーに入っていた氷は、全て溶けてしまっていた。店内を見渡すと、私以外客は居なくなっていた。
開田さんは極めて優しい方で、歪な感情がありながら、我々遺族の事を慮り、財布を保管してくれていた。その行為は、正解があるわけでもなく、また彼が自身を責める必要もなかった。
財布を自らの手で届けることは誰しもができることではなく、私は深い感謝を覚えると同時に、それが彼なりの贖罪の形であったのかと思った。
私はカフェを辞して、一人暮らしのアパートへ帰った。
結局、開田さんが発見した遺体が兄かどうかは分からなかった。ただ、財布のみがここにあった。
しかし、開田さんが甚大な努力をもって届けてくれた財布には、引き取り手が見つからなかった。
両親と兄の関係は、決して良好とは言い難かった。癇癪持ちで、心情を汲み取るのによく苦労したらしく、度々良からぬ問題を起こしていた。
開田さんから連絡があり、私が行くことになったのも、家族が不出来な兄の遺留品や、最期に関心があまりなく、押し付け合いの末、私に白羽の矢が立ったに過ぎなかった。
私と兄は小さい頃から喧嘩が絶えず、兄が高校生になる頃には我々は既に会話らしい会話はしていなかった。
兄は友人もあまり居なかった。細君はいたが、生前、関係が冷めきっていると噂を聞いていた。
遺体のない葬式はごく小規模で執り行われ、参列した人々もあまり悲しんでいる様子はなかった。
私はそれから、一応、兄嫁に電話を掛けた。電話口から喧騒と無愛想な声が聞こえた。遺留品が見つかったから、届けますかと聞くと、向こうは、いらない、もう離婚届は受理されたと答え、電話は切れた。
その後、休暇の隙をみて私は両親に会いに行き、財布を持っておくか聞いたが、両親は磯臭い財布を気味悪がり、私の胸に突き返した。
私は、開田さんがようやく届けてくれた財布が、開田さんの気持ちと無関係にぞんざいに扱われている事に悲観した。
兄が生前の行いのために煙たがられることは、仕方のないことだと割り切れる。しかし、せめて、私だけは開田さんの人情ある行動を無下にしないよう、財布を丁寧に洗って保管した。
今年も、磯の匂いが部屋の中に漂っている。そして、頭の奥に仕舞い込んだホコリまみれの記憶が、綺麗に洗濯され引っ張り出される。
私は、人望のない兄の不慮の死を、私一人の心の中だけでも、意味あるものとして昇華され、磯の匂いを嗅ぐたびにこのことを思い出させてくれる開田さんにたまらなく感謝し、それと同時にあの時の開田さんの悲痛な顔が蘇ってくる。
財布を届けてもらった翌年、こちらから電話を掛けてみたが不通であった。私は彼の住所も知らず、名前も苗字しか知らないのである。
開田さんが今、どうしているかわからないが、私は毎年春になると、優しく穏やかな彼の、心からの幸せを願うのである。
執筆の狙い
約4400字です。人間性の複雑さを表現したく作成しました。ご指導よろしくお願いいたします。